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2011年4月

嫁が退院しました。

25日(月)に嫁が退院しました。

急性腸炎だったそうです。

 

子供の世話疲れの反動が出たのか、今度は私の体調がよくありません。

全体的に身体がダルイです。

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嫁が入院する

昨日、いやもう一昨日になりますか。


嫁が入院しました。

入院する前の日から胃が痛いと言っていたのですが、翌日病院での診断の結果、 胃も小腸も大腸もまったく動いていないとかで即入院になりました。

そんな訳で、昨日も今日も娘と二人だけの夜です。

娘は意外に嫁の状況を理解している様で落ち着いています。


そんな北の国の日常であります。

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話題の日本赤十字社

何だかんだと話題に上る日本赤十字社。

 

http://www.jrc.or.jp/

一応リンク貼っておきます。

 

世界の赤十字社・赤新月社等

186社

沿革

明治10年(1877) 5月1日 博愛社設立
明治20年(1887) 5月20日 日本赤十字社に改称
昭和27年(1952) 8月14日 日本赤十字社法制定

名誉総裁・名誉副総裁

名誉総裁  皇后陛下
名誉副総裁 皇太子殿下・同妃殿下 秋篠宮妃殿下
      常陸宮殿下・同妃殿下
      三笠宮殿下・同妃殿下 �ェ仁親王妃信子殿下
      高円宮妃殿下

社員(平成22年3月31日現在)

個人 1,065万人
法人 15万法人

評議員

2,000人

代議員

223人

役員

社長  近衞忠�W
 日本赤十字社 入社:昭和39年 
 社長就任:平成17年
 兼務:国際赤十字・ 赤新月社連盟会長(平成21年〜現在)
副社長 大塚義治(常勤) 米倉弘昌(非常勤)
理事  61人(常勤1人、非常勤60人)
監事  3人(非常勤)

 

 

ちなみに、私は今年の1月に応募して書類選考で落ちてます。

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涙がこぼれないように

私は日本国民です。私は日本国の北限の北海道民です。
そして私は札幌市民です。

 

ここに書いてどうなるものでもないと思って書いていませんでしたが、私は毎日泣いています。涙がこぼれるのです。

そう、大震災。

テレビを見ても泣いて、ネットでニュースを見ても泣いて。


完全に自律神経がやられてます。PTSDまでは行かないですが。

 


そこに4月からの嫁の勤務、シフトチェンジ発生。

嫁は1速から2速へ。私は2速からニュートラルへシフトが抜け。

私と嫁の不安定な精神が娘にまで伝播したかの様に、娘も精神不安定に・・・。

4月から保育園のクラス担任が変わったのもあるかも知れませんが、娘は良く泣く様になりました。

嫁に抱っこをせがむ事も多くなりました。

 


そこでその地震の話です。


ここは北海道ですが、地理的な理由により、特に明治期は東北からの移民者が多いです。
北海道にとって今回の震災の影響は観光客が少なくなったと言うぐらいです。(地味に多大な影響ですが)

札幌市民は普段東京としか繋がっていない意識で暮らしていますが、 東京抜きに札幌を語れないのと同じ様に北海道全体抜きでは当然札幌は語れません。


北海道は貧しい土地です。

北海道は寒い土地です。そして寂しいです。


その真ん中に札幌がありながら、札幌は時々その事を忘れます。

この表現が不思議に感じられる方もいるかと思いますが、そうなんです。

相模原が時々神奈川を忘れる事はないでしょうが、札幌は時々北海道を忘れます。


そこでこれ。

 

http://www.youtube.com/watch?v=aAByolS8aGI


↑TVドラマ「北の国から」の一部。


『天災にたいしてね、諦めちゃうんです。何しろ自然が厳しいですからね。諦めちゃう事に慣れちゃってるです。例えば水害にあった時、 今年北海道めちゃめちゃにやられましたよ。それで、あの、めちゃめちゃにやられてもう駄目だって言う時にテレビ局来てマイク差し出されると、 へらへら笑ってるです。もう駄目だっちゅうてへらへら笑ってるですよ。諦めちゃうです、神様のした事にゃ。 そういう習慣がわしらにはついとるです。』

VTRの中で、大滝秀治が言ったセリフです。

 

どうにもこうにも、今回の震災がオーバーラップしてしょうがありません。


北海道は諦め慣れしてます。自然ばかりが荒れ狂う土地です。

しかし東北の今回の震災は諦めるにしても規模が違うのも確か。

 


北海道の人は諦めつつ、へらへら笑いながら前へ進む。

 


私たちの先祖の子孫が多く住む、東北も良い意味で諦めながら前へ進んでくれたらと思います。

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それぞれの変化

こんばんは。MOTです。


4月に入り、嫁はパートから臨時職員に。私は派遣社員から無職になりました。それぞれ変化があったのです。

嫁の勤務先は保育所なので、朝は7時から9時半の間のスタートでシフト制です。


本日(昨日)は娘が起きる前に嫁が出勤してしまったので、娘は起きた時から「ママーママー」と泣いていました。かわいそうです。
私では埋められない悲しさです。


その後保育所(not嫁が働いている所)に連れて行きましたが、終始ナーバスだったとの事。


私も娘も元気が無いです。

 

私は仕事探しをしていますが、この歳になると派遣でも仕事にありつけなくなっており、かなり厳しいです。

 

で、震災です。


元々あまりテレビを見ない私だったのですが、今たまにテレビを点けると「がんばろう日本!」みたいなセリフが飛び込んできますが、 それを見ると非常に悲しくなります。

だって、今でも私なりに頑張っているもの。


これ以上何を頑張れと・・・。


これ、多分震災の被災者の人も同じだと思います。

頑張れ、頑張れ、うるさいんだっての。

被災地でテレビを見れるかどうかはわかりませんが。

 

そして統一地方選挙。

全国津々浦々の市町村に田舎議員様による国会ごっこが必要なのか全く理解出来ませんが、選挙は行われたようで。

ここ北海道では現職知事がそのまま当選。自民党の人です。もう2003年からずっと知事です。 全く北海道を良くしようとする気配も無い人です。実績は洞爺湖サミットだけです。


東京では知事は再び石原氏になった様で・・・。

お互いご愁傷様です。

 


んで、原発がホニャホニャの滅茶苦茶な事に。


地震、津波、原発の三重苦。


大正12年の関東大震災が頭をよぎります。

関東震災は大正デモクラシーに終止符を打ったらしいですヨ。

その後は皆さんご存知昭和初期の暗黒時代。


死ぬんデス、皆死ぬんデス。挙国一致で死ぬんデス。御国の為に死ぬんデス。それが喜びなんデス。国士舘なんデス。 皇居に向かって敬礼なんデス。

 

ウチの大正3年生まれの婆ちゃんは平成に入ってからボケてしまって。
ずっと「戦友」と言う歌を歌っていました。よっぽどあの頃の記憶が残っていたのでしょう。
まぁ、余談ですが。

 

 

そんな訳で、今回の選挙はどうにもこうにも腐れた選挙でしたが、それが平成暗黒時代をもたらさない様に願います。


ちなみに私は天皇陛下は好きです。国士舘です。

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一区切り

本日(3月31日)で勤務最終日でした。

本日と言うかもう昨日かも知れませんが。

 

まぁ、直属の上司からも何の言葉も掛けられず、今までここを去って言った人々と同じ様に、無視されるが如く勤務は終わりました。

 

ほんで、明日。

 

私は明日から無職です。

 

逆に嫁は明日から、パートから出世し臨時職員となります。

勤務時間も延びます。

なので私はこれまでより一層娘の世話に力を入れなくてはなりません。

 

私は娘が好きです。なぜならかわいいから。

 

でも不安です。

 

明日、保育園に娘を連れて行ったり、迎えに行ったり。

ちゃんと出来るかなぁ、怖いなぁ。

 

ただ届けたり迎えに行ったりではなくて、色々洗い物を持って帰ったり、着替えを届けたりするんだなぁ。

心配だなぁ。

震災にあった人とは比べられないけど、これが私の範囲の心配事なんだな。

これも不謹慎と言うのかな。

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